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世界にひとつの墓じまい海洋葬クルーズ

乗船場所東京
使用船舶ドーバー号
ご利用プランファミリー散骨プラン(貸切散骨)
2022.11.28

お墓じまいの海洋葬クルーズをご紹介させていただきます。

故人様3名のご遺影とともに思い出の品をそれぞれお持ちいただきました。

3名様の没後が数えでお父様30年、お母様7年、長女のお姉様75年と、みな区切りがよい年の海洋葬だったのは、偶然ではなくなにかの思し召しだったのでしょう。

施主様が船酔いで散骨スポットでの挨拶ができなくなるのを避けるため、出航直後に見送りの言葉を朗読して頂きました。

お父様、お母様のエピソードの紹介に笑いの中に涙もあり、船内は朗らかな空気に包まれました。

 

海洋葬は宗教・宗派は関係がないことは周知されつつありますが、

シーセレモニーでは船の上という場所で皆様でつくられる世界に一つだけの会だと考えております。

このように手作りの海洋葬を検討中の方の参考になるならと、文章提供を快諾いただきました。(記事の最後に全文を紹介致します)

見送りの言葉に沿った、故人様とご参加の皆様が笑顔で写っている手作りの写真集をご覧になられておりました。

お墓に埋葬されていた紙の着替人形を施主様が洗っていたところ、中に挟まれていたお母様から長女様あてのお詫びの手紙の付箋があったそうです。

その手紙の存在を皆様も初めて知ったようでした。

着替人形はお母様から2歳でご逝去された娘へのせめてもの手向けではと施主様からお話をいただきました。

きっとお水を飲みたかったお姉様へ、事前にご用意したお水を妹様から献水していただきました。

お母様が大好きだったエンヤの曲 On My Way Home が流れる中、ご乗船の皆様で故人3名様の遺骨を少しずつ海にお還しし、合掌。

施主様が散骨時にご先祖様へお詫する旨を仰られておりました。

自分の代でお墓をしまわれることへの後ろめたさや責任を感じられていたのでは、と改めて感じました。

お母様は海外旅行がお好きだったとのこと。お母様の遺影の前の6ドル札をお持ちになり、今飛び立っていった飛行機に、3人乗ったのかなとお話をさせていただきました。

色とりどりのお花が穏やかに浮かび、八点鐘が鳴り響くなか、周りを周回し散骨が無事終わりました。

皆様も穏やかな安堵の表情。

いつもと違う雰囲気に慣れなかった女の子も、お父さんとじゃんけんをするまで元気が戻った様子でした。

 

ご散骨後はお食事をされながら、

ご親族で大切な団欒のお時間を過ごされておりました。

ご乗船後から少し経った8月下旬に開催されたエンディング産業展のシーセレモニーのブースにご来訪いただきました。

ブースに掲示していた、ご乗船いただいた方の笑顔の写真をご覧いただき、

『見知らぬ他人のご家族なのに、みんな親戚のような感じがしました。海洋葬仲間だからなのでしょうか。』との感想をいただきました。

もうお墓じまいへの後ろめたさがなくなったからこそのお言葉なのだと感じさせていただきました。

 

下記、頂いたお礼の文章をご紹介させていただきます。

 

『  両親、2歳で亡くなった姉、将来の私の4人の永代供養をやめ、離檀する旨
を、38年いたお寺に告げにいくまで、色々逡巡しましたが、ドーバー号から見上げる
東京湾の景色と、散骨場所を1周する間に鳴る八点鐘のおかげで、後ろめたい気分が
やわらぎました。
  島田様には、事前に依頼した内容を一つも漏らさずご対応いただき、大満足で
す。まったく想定外だった八点鐘は、鐘と鐘の間の静寂時間が長く、色々な思い出が
駆け巡り、驚くほど沁みるものでした。
特注料金で用意していただいたオードブルを、船酔い続出で半分残してしまったこと
だけが残念。

御社とスタッフの皆様のご発展を信じてやみません。』

 

下記、見送りの言葉を記載

※個人情報は弊社で伏字にしております。

 

見送りの言葉

本日の写真は、どれも遺影ではありません。父 **、母 **、長女

**の3人が、幸せと感じた時々の写真ですので、皆様にも登場していた

だいてます。父母の結婚式の日のビックリエピソード、父の氷川丸の

エピソード、母が生涯後悔した話を紹介し、見送りたいと思います。

父 **は、大正51916年に**の**で誕生。半年だけ夏目漱石と

同じ時代の空気を吸ってます。野球少年だった父は、国民病の結核の

初期症状と当時言われた肺浸潤にかかり、戦争に行かずにすみました。

旧姓****も同じ大正の131924年に**の**に生まれ、戦争で

一家が**に疎開する少し前の19363月、一人で**駅に降りました。

通りに並んでいた大勢の人にビックリ。前月の二・二六事件で暗殺された

***元首相の遺骨の帰郷列車に同乗した母は、歴史の生き証人でした。

二人は終戦2か月前の19456月に結婚。戦前珍しくはなかった写真

見合いで、結婚前は一度も会わず。婚式式の朝の姉嫁さんのアドバイスは、

「あちらは男3兄弟。旦那様を間違えないようにね。」 晩年お互いの

第一印象を聞いたことがありました。その時だけは二人とも口をそろえ、

「写真に騙された。」母は生涯、カタログ販売の写真を信じませんでした。

結婚の翌年の7月に長女**誕生。その1か月後にやっと入籍。子供が

生まれない女性には、つらい時代でした。父似の**は、町の方々から

そっくりと言われ、父は溺愛しましたが、2年後の8月に急逝。それから

父は子育てが怖く、子供嫌いになったと、母から聞いたことがあります。

これは1950年、母の誕生日の425日、洋品店を開業した日の写真です。

***郡地方事務所で農地山林担当の父は、少し後に勤めを辞め、以後

日本の高度成長時代に、夫婦で洋品店をしながら、子供3人を育ててくれ

ました。6年前臨終の母の耳元で、「硬い椅子の急行、23日の両夜行で

仕入し、3人大学を卒業させてくれた。ありがとう。」と礼を言いました。

二人が一番幸せだったのは1982年から、父が亡くなる19931月までの

10年間に間違いありません。1982年に**さんと**が結婚。**さん

には、両親を本当に大切にしていただきました。84年には店をやめ、**

*に呼び寄せました。87年には初孫の***君誕生。88年には両親初めて

海外へ。アメリカ旅行をプレゼントしました。89年***誕生。*ちゃん、

*ちゃんと一緒の父の至福の表情に、子供嫌いは、もう感じられません。

この幸せな10年間は、氷川丸の船内に社交ダンスクラブがあった時代で、

父は家族に内緒で通ってました。入院した病院に、クラブの女性達が

見舞いに来て母はビックリ。一人と聞かされていた女性達もビックリ。

父が一度も**に里帰りしなかった理由が、バレてしまいました。

母の財布には、次の旅行で使うつもりの6ドル以上が残ったまま。故郷の

東京湾、海外にすぐ行ける羽田沖の散骨に、母は満足してると思います。

2歳の**は、当時の処方、指示で、喉が渇いても、水を飲ませてもらえ

ないまま、829日に急逝。母は生涯悔しがりました。74年ぶりに骨壺から

出て、両親にじかに抱かれ、初めて母の生まれ故郷の東京と、海を見ました。

これから3人は、どこでも行ける旅に出ます。どの飛行機に乗るか、相談

しているところです。皆様、笑顔でお見送りをお願いいたします。以上

 

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